Archival Living

Aug 31 2010
昭和二十四年(一九四九年)に起きた八百屋お七の幽霊事件は、幽霊が出たといいながら、誰もその姿を見ていない。足音が響いたというだけであり、これが事件の最大の特徴だった。
 しかも、当初は工場の職員全員が幽霊の足音を聞いたかのように報じられたが、実は「下駄の音がする」と言って騒いだのは、年齢が四十代以上の職人に限られていた。同じ場所にいた若い人たちは、何らかの音は耳にしていても、それが”幽霊の足音”とは思っていなかった。年代によって音の解釈が分かれていたのである。
(中略)
 しかし、この問題はむしろ民族学者の今野圓輔が『怪談 民族学の立場から』で指摘したように、「いかにも江戸期から歌舞伎狂言などで培養された人たちらしい幻聴」という解釈の方が当たっているように思われる。当時の四十代以上の人というのは、要するに明治生まれの人である。戦前の怪談ブームの洗礼を受けた人たちが、頭の中で、牡丹灯籠のお露と八百屋お七を合体させていたのである。
 当時の日本人は、現代の私たちより、音から想像を広げる能力に長けていた。まだテレビのない時代であり、映画は流行していたにせよ、今日のごとく映像に毒される環境は身の回りにはなかった。むしろラジオの影響を考えなければいけないのである。
 昭和二十年代以前の日本人は、戦争が始まったのも、終わったのも、ラジオで知った。音声だけの放送が今日とは比較にならない有力なメディアであって、そのラジオで怪談ドラマも放送していたのである。そのせいなのか、戦前の怪談には、血みどろの幽霊があまり出てこない。戦後のテレビ時代になると、幽霊も天然色になるのである。(pp. 215- 216)

日本の幽霊事件』より。

心霊体験と文化的バックグランドの関係性がよくわかる。

(via gyosekian)

(via hirai) (via petapeta) (via yaruo)

(via otsune) (via jacony) (via proto-jp)

昭和二十四年(1949年)發生的菜店阿七幽靈事件,雖然傳說出現幽靈,但沒有任何人見到其樣貌,只聽到腳步聲,這是此事件的最大特徵。
而且雖然報導說當時全體工廠職員均聽到幽靈的腳步聲,實際上號稱「有木屐的聲音」而騷動的,僅限於年齡四十歲以上的員工。待在相同場所的年輕人,就算覺得有聲音傳入耳朵,也不覺得那會是「幽靈的腳步聲」。不同的年齡世代,對聲音的解釋也不一樣。
(中略)
但是我認為,這個問題應當以民族學家今野圓輔在《怪談 民族學的立場》一書中所指出「完全是從江戶時期起,受歌舞伎、狂言等等養育成長的人,所特有的幻聽」的解釋才對。當時四十歲以上的人,換句話說就是明治時期出生的人。受過戰前怪談風潮所洗禮的人們,在腦中把牡丹燈籠的阿露與菜店的阿七合為一體了。
當時的日本人比起現代的我們,具備更強的、以聲音擴展想像力的能力。那還是個沒有電視的時代,即使電影正在流行,但不似今日被影像荼毒的環境所圍繞,反而收音機的影響力不可忽略。
昭和二零年代以前的日本人,無論是戰爭的開始或是結束,均透過收音機得知。只有聲音的廣播電台,在當時是今日無法比擬的有力媒體,而這些電台也會播放怪談廣播劇。或許是因為這緣故,戰前的怪談並不太出現血淋淋的幽靈。到了戰後的電視時代,幽靈也就成了彩色的了。

——《日本の幽霊事件》(pp. 215- 216)

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